ヘボン博士

世話人

中冨穎隆 1952経卒 ヘボンクラブ顧問

「オール明学人のホームサロンヘボンクラブ」
1958年東京神田に在ったYMCA食堂を例会場としてクラブは発足しました。毎月定例日、そこに行けば誰かに逢える。 会では誰とでも自由に会食を楽しみ乍ら未知の隣人が会を重ねる毎に、親しい友人に変化しました。初代の会長は日動画廊の 創立者、長谷川仁氏でした。今は五代目の長岡宣好氏が会長です。どうぞご来遊下さい。そしてあなたの話を聞かせて下さい。 新しい友人になりましょう。

斎藤豊 1958商卒 ヘボンクラブ名誉会長 2012年7月5日ご逝去(76歳)

ヘボン、ブラウン、フルベッキが来日してから今年・2009年は150年。ヘボンクラブの歴史はその三分の一の50年、 これも長い歴史。明治学院を真摯に愛した先輩方の創ったヘボンクラブのメンバーで在り得たことは幸せでした。 沢山の人を知り、思いを一つにしました。ヘボンクラブよ…雄々しかれ、目覚めよ、立てよ、懼るるなかれ…あなたもご一緒しませんか。

長岡宣好 1970高卒 ヘボンクラブ会長

お陰さまでヘボンクラブの例会もこの4月で180回を迎える事ができました。これもひとえに会員の皆様のご理解と ご協力があったればこそと感謝を申し上げます。年4回の講演会そして1回のアウティングを通して会員の皆様と楽しく 有意義な時間を持てますよう世話人一同、文字通りお世話をさせていただきます。活動に関してのご要望があればいつでも 世話人にお声をかけてください。皆様のご意見をお待ちしております。

江澤昭 1953英卒 2015年6月28日ご逝去(85歳)

見上げる空の彼方には通信衛星が飛び交い、巷ではケイタイが人との交流を司る…この利益とは裏腹におつき合いの濃度は 希薄になっている気がします。半世紀の歴史を持つヘボンクラブはユーモア、詩情をたたえた暖かいおつき合いの場になって 欲しいと思います。微力ですがそのようにつとめます。

吉田恵子 1959英卒

「明治学院を卒業して今年で50年。結婚して50年。横浜の大桟橋から貨客船で米国へ行ったのが50年前。 学院の良き先輩と後輩の中で、色々学ぶこと多く、ヘボンクラブもそのうちの一つ。皆様のお役に立つ事を願って」


岩ア次郎 1959社卒

ヘボンクラブ会員であることの喜び:それは明治学院に連なる多くの方々と出会い、知り合う喜びです。 私が20歳代であったときには大先輩たちからたくさんのことを学ばせていただき、老人と呼ばれるようになっては若い方々の柔らかく、 しなやかで、また弾力的な考えから刺激をいただいています。

万城目淳子 1960英卒

ヘボンクラブは、どんなクラブ? と、少しでも興味を持たれた方は、ぜひ一度、御出席下さい。興味深い内容の講演会、小旅行、etc。 きっと、楽しく、有意義なひとときをお過ごしになれると思います。出席してみたいと思われた方、大歓迎です。ご一緒に楽しみましょう!

三浦徹 1963商卒

学生時代はワンダーフォーゲル部で心身を鍛え、会計・渡辺実ゼミで学び、卒業後はヘボンクラブで人生の先輩達の知遇を得、指導、 鍛えられ幸せな出逢いに感謝しています。例会のある日は、いつも1時間前には会場に入り会場の担当者と綿密な打合せ、同窓会旗の掲揚、 受付兼会計係を担当しています。至って地味な世話人ですが、2年に一度のアウチィング(一泊二日の旅行)では一躍主役に様変わり、 旅のベテラン"ワンゲルOB"の名誉に掛けて手作りの楽しい旅を企画・演出しています。

若林節子 1965英院卒

2008年にヘボンクラブの会員になりましてからその間、ずっと気に掛っていることがあります。それは「ヘボ ンクラブ」という、このクラブの名称のことです。たぶん、ヘボンクラブとはヘボン博士の名を戴く団体であるということだと思 います。ヘボン博士は医療宣教師として来日、幕末から明治にかけて激動の時代に滞在されました。そのおよそ33年間に、多方面にわ たる、驚くべき多くの貢献をなさいました。来日してから4年目にして横浜居留地39番でヘボン塾の始まりである英語塾を開き ました。のちには、明治学院大学の基となる明治学院の初代総長を務められました。また、布教活動の必要性から日本初の本格的 な和英・英和辞典「和英語林集成」を刊行、その第三版(1885年)に使われたローマ字は、外国人が日本語の発音をより正確に 習得できるようにとヘボン博士が考案したもので、のちにヘボン式ローマ字と呼ばれて、標準的表記として定着しています。旧約 ・新約聖書の日本語翻訳にも一貫して関わっています。また腕のいい医者として、多くの日本人患者を無償で診察しました。 1862年の生麦事件で負傷した英国人を手当てし、1867年には歌舞伎役者澤村田之助の脱疽の左足切断の手術を行ったことなど よく知られています。このほかにもヘボン博士の業績は枚挙に遑がありませんし、それらのことはすでにヘボン研究者たちによって明らかにされてい ます。「灯台下暗し」という言葉があります。ヘボンクラブに仲間入りした私は、いま自戒を込めてこの拙い文章を書きました。

棚田守彦 1966英卒

母校はありがたい心のよりどころである。卒業して歳月が経過すると親しかった恩師や友人の音信でさえ次第に疎遠になったり途絶えたりする。 それでも、母校で学んだご縁で学年や学部をこえて新たな同窓の交友が生まれる。ヘボンクラブは、地域会や学年会やサークル会のような所属 などにとらわれない同窓生の自由な交わりのサロンである。若い日々に学院で過ごした思い出を胸に、年会費も義務もなく全ての卒業生を招い ているヘボンクラブに加わり、学院同窓生の堅い友愛の絆を培いましょう。この伝統のあるクラブの運営の後継志願者を待望しています。

麓良久 1971社卒

1967年に入学し1968年から大学紛争が始まり、大学は学生自治によって授業はボイコット、一時期教職員が学内からすべて 姿を消した学生時代でした。学生の頃「ヘボンクラブ」は「ノスタルジックなモボとモガ」のハイクラスな社交倶楽部だと思っていました。 しかし、1994年よりたまたま「世話人」としてお手伝いをさせて戴く中で、同窓生の方々から様々な影響を受け多くのことを学ばせて戴き、 何んと2004年に「洗礼」へと導かれてしまったのです。十字架のタテは「神と人との交わり」ヨコは「人と人との交わり」同窓生との「絆」 を大切にしていくことが、神が多くの宣教師達を遣わして創り給うた学院の「ヘボンクラブ」の役割だと感じています。

長岡茂子 1974英卒

ヘボンクラブに参加させていただいてまだ数年ですが、講演会、アウティング、クリスマス午餐会など、同窓生との交わりを通して 明治学院の素晴らしさを再確認しています。皆さまのご参加を心よりお待ちいたしております。


新井典子 1976福卒

明治学院に38年勤務し2014年3月に退職しました。多くの学生を迎え入 れ、社会に送り出し、先輩方にも巡り合う機会をいただきました。 勤務した38年の間には、建物も新しくなり、大学そのものも横浜校舎が開校したり学部が増えたるなど変化してまいりましたが、明治学院の カラーは 変わっていません。それは同窓生や学生と話していると、年の差があっても居心地のよさを感じることでわかります。ヘボンクラブでは 年に数回例会を講演会形式で、クリスマス午餐会を礼拝とパー ティー形式で行っています。このほかに小旅行もあります。(日帰り、一泊を隔年 で実施)例会、旅行、クリスマス午餐会はどなたでもご参加いただけます。学生時代はサークル活動をしていなかった方も、ここは明治学院の 卒業生に会える場所です。新しいお友達を作りませんか。世話人一同お待ちしています。

小滝秀明 1981英卒

ラジオ英会話で英語を学び、松本亨先生に憧れて1977年に英文学科に入学しましたが、ESSの活動に明け暮れた日々でした。 2010年に帰国するまで17年間を過ごしたロンドンでは、同窓会英国支部の発起人として、世界に広がる同窓の有難さを痛感しました。 ヘボンクラブは、2013年9月の例会で200回目を迎えるという素晴らしい伝統を誇ります。貴重な歴史を刻み続けるヘボンクラブの 仲間としていつも皆様に感謝いたしております。感謝とは、「感恩報謝」の教えの通り、ご恩を感じ行動で報いることがよりよい道で ありましょう。ヘボンクラブで少しでもお役に立てるなら幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

宮崎秀司 1985商卒

毎回、皆様への例会開催連絡とホームページを担当しています。例会に参加できない方もホームページを見て楽しんでいただけたらと思います。 ヘボンクラブの素晴らしい歴史を継承できるように努力して参ります。この会は明学関係者ならどなたでも参加できますので、まだ参加したこ とのない方は是非一度お越し下さい。世話人一同お会いできるのを楽しみにしています。

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